鉄道はいかにしてスイスを一つにしたか
鉄道の発展は、今日知られているスイスを形づくる原動力であった。時刻を標準化し、地域と言語圏を結び、人々の移動を促した。公共交通は国民の委任により連邦憲法に盛り込まれ、スイスの国民的アイデンティティの一部となった。今日の公共交通は緻密な路線網を張り巡らせ、時間通りに運行され、世界においてスイスの精密さを象徴する存在である。

異なる時刻、異なる時間帯
列車は定刻に発車したのに、到着は遅れる。線路に問題があったわけではない。場所によって「定刻」の意味が異なっていたからである。
1870年頃のバーゼル。駅舎正面の壁面には二つの時計が並んで掛かっている。左の時計はベルン時刻、すなわちスイスの鉄道時刻を示す。右の時計はフランス行き列車のためのパリ時刻を示す。どちらが正しいのか。選び間違えれば列車に乗り遅れる。スイスは一つの国であったが、まだ一つの時を刻んでいなかったのである。

鉄道が登場する以前、それぞれの町は独自の時刻で動いていた。正午とは太陽が最も高く昇る時だった。一見もっともに思えるが、鉄道にとっては問題であった。19世紀に最初の蒸気機関車がスイスを走ったとき、乗務員は路線によって複数の時刻を念頭に置かなければならなかった。今では滑稽に思えることも当時は普通であり、その結果、1982年に導入された今日のパターンダイヤ(定期間隔の時刻表)とはまったく似ても似つかない時刻表が作られていた。
時差による混乱なし、問題なし
解決策は国外からもたらされた。1847年、英国は各地の時計が同じリズムで時を刻むよう、基準点としてグリニッジ標準時を世界で初めて導入した。スイスでは1853年以降、郵便、電信、鉄道の交通をすべて「ベルン時刻」に合わせ、その後1894年に中央ヨーロッパ時間を全国標準として採用した。今日、チューリヒとジュネーブの人々が同じ時刻にお茶の時間を楽しみ、長い列車旅の後に別の時間帯へ調整する心配をせずにすむのは、主に鉄道ブームのおかげである。スイスがいかにしてこのような鉄道の国になったのかについては、こちらの記事(英語)で詳しく紹介している。
四つの言語、一つの時刻表
公共交通は、さまざまな意味でスイスの人々を動かしている。住民一人あたりの年間鉄道移動距離で、スイスは欧州、そして世界の大半の国を上回る。多くの人にとって鉄道は通勤のための最も容易な手段であるが、公共交通は単にA地点からB地点へ最速で移動する手段にとどまらない。
その本当の意味は、ザンクト・ガレンからジュネーブへ向かうインターシティ(都市間特急)で最もはっきりと見えてくる。列車は4時間弱で、ドイツ語圏の北東部から言語境界を越え、フランス語圏の南西部へと国土を斜めに横断する。車内ではスイスドイツ語、フランス語、時にはロマンシュ語が聞こえてくる。車窓からの眺めは、アッペンツェルの丘陵がスイス高原へ、さらにジュラ山脈南麓へと移り変わり、やがてレマン湖が姿を現す。各州(カントン)から乗客が乗り込むたびに聞こえる言葉のニュアンスには、耳を澄ませる価値がある。これほどに生きたスイスの縮図を体験できる場所はほかにない。

この原則は、路線網上のパノラマルートにも当てはまる。グレッシャー・エクスプレス(氷河特急)、ベルニナ・エクスプレス、ゴールデンパスは、単に場所と場所を結ぶだけではない。それらは、列車に乗る体験そのものを、列車での旅をする理由に高めている。目的地に到達することと同じくらい旅路そのものが重要であるという考え方であり、それは理念にとどまらず時刻表そのものに表れている。
スイスの公共交通システムは、列車とバスだけに限定されない。船も含まれている。チューリヒ湖やボーデン湖の朝の便に乗る人は、公共交通で移動しているのである。
国民の委任
公共交通がスイスでこれほど特別な重要性を持つのは偶然ではない。実際、それは共同の決断によるものであった。連邦憲法第81a条により、連邦および各州は、国内すべての地域において、鉄道、道路、水路、ケーブルウェイによる十分な公共交通サービスを確保する義務を負っている。公共交通は商業商品ではなく、民主的な手続きに根ざした国家の基本的な使命なのである。
それは数字にも表れている。2025年、全列車の94.1%が時間通りに運行された。基準は厳しく、予定到着時刻から3分を超えると遅延とみなされる。高いハードルにもかかわらず、100本中94本の列車が、雪や氷の中でも、年365日にわたりこの基準を満たしている。
世界を巡った時計
鉄道が始まった頃、バーゼル駅には二つの時計があった。今ではスイスの鉄道時計の一つが、ニューヨーク近代美術館(MoMA) に展示されている。白い文字盤、黒い針、赤い秒針を備えたこの時計は、エンジニアでスイス連邦鉄道(スイス国鉄)職員でもあったハンス・ヒルフィカーが1944年にデザインしたものである。シンプルで読み取りやすく、正確である。1986年にはスイス連邦鉄道の駅時計が腕時計の形でも販売されるようになった。もともとは機能的な物として考案されたものだが、今では時代を超えるデザインとしての地位を得ている。スイスでは、精密さとスタイルは常に同じ言語を語ってきたのである。

同じ時刻、異なるスイス
バーゼル駅の正面には、今も二つの時計が残っている。しかし1894年以来、どちらも同じ時刻を示している。「当然ではないか」と思われるかもしれないが、長年そうではなかった。毎日バーゼルを通過するインターシティに乗れば、標準時の到来がなぜそれほど重要だったのかを実感できるはずだ。四つの言語を持ちながら、スイスは共通の時刻表と高い定時性で動いている。公共交通はスイスを結んだだけではない。目に見える確かな形で一つにしたのである。